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イラストレーションアドバイス

ゼロからのイラスト講座。お絵描きのナビになるような記事を目指します!

話し相手

おはようおはよう!
長田ですぞ!

ウーン、今年はかの時代を生きた偉人の方たちが多く亡くなっていきます。
速報を見るたびにショックを受ける。
あまりね、こういうことはインターネットで話すべきではないからね、言っといてなんだけど触れないでおきます。
ただ、さすがにこう続くと、世代の交代を意識せざるをえません。
もうそろそろね、人生のブレない生き方ってのを学んでいかなきゃいかんと思うんです、僕も。
誰が、じゃなくて自分が。

僕はブレない生き方って言うのが、ただ働くだけの生き方を指すものではないと思ってます。
他に重ならない自分の中の理想像に近づいていこうとするその意志っていうのかな。
努力だとか、向上心だとか、そんな当たり前のものじゃなくて、生きていてムダなことを減らす。



たまには凄く真面目な話をします。
よくあるミニマリストだとか、意識高い系だとか、ああいったものとムダを減らすということは意味が違います。
あれらは「見てもらう生き方」じゃないかな。
なんていうか、素晴らしい素晴らしいって発言をしてさ、同じ人たちを増やしていって、一種の群れを作るんだよ。
良いことですよね。
人は頑張るためには、必ず共感者が必要なんだから。

みんなやってるからこそ自分もできる。
周りに合わせて生きている今の自分に、疑わずに努力ができる。
そのためのメソッドでしょう。



けど、僕は否定したい。
どんなに炎上しても構わん。僕はそれをあんまり認めたくない。
みんなに合わせてやることが、努力だとは思わない。

ブロガーさんの中にも、若い頃必ずあったと思います。
「話す相手が一人もいない」っていう状態。
僕はそれこそが正しい状態だと、個人的に信じています。

話し相手がいない。
単純に友達がいないのではなくて、共感者がいない。
集まればピエロを演じる。確実に人と感覚がズレている。自分の話は否定されるのがわかるため、ほとんどしない。

これこそが正しい。



現実を見ろ、受け入れろ、なんてことをよく言われるが、下しか見ないことが現実を見る、という事では無いだろうと、昔から思っています。

できるかできないかじゃなくて、やるんだ!
なんていう暑苦しい発言ともまた違います。

考え続ければ自分の中で必ず納得する答えを捻出することが可能です。
まともに考えるっていうのはそういう事だと思うんだ、僕は。

現実ってのは計算で成り立つ。
ものの作りを理解していく。

人間っていうのは壮大なマジシャンであるべきなんだよ。
今、みんなが凄いと思う人たち、偉人たちは全てマジシャンだよ。
ぱっと見じゃ間違いなく不可能なことを、思いもよらない奇抜な方法でやりおおせるマジシャン。
人は純粋な努力だけで高みを目指すことはできないんだよ。

だから拳法にも流派が存在する。
人間が高みを目指すために磨き上げた訓練法の、代々伝わる伝統が、マジックのタネである。
その練習法でのみ身に付けることができる特別な技が存在する。
我流っていうのは、そういう過程の中で身につけた技を応用し発見することで見つけるものです。



絵においても練習法の数々が存在しているが、それは極小の情報です。
話せば何ヶ月もかかるくらいの常識はずれな計算式、必ずこれで可能になるといった確信を抱くための思考の時間、そんなものが上達には必要です。

絵で例えましたが、僕は絵描きですけどもジャンルはなにかと言われたら返答に困る。
なんでかってーと、僕の理想像は絵描きじゃないからです。
ブログでこうして講座を続けているのは、絵がある程度描ける力を有効活用しているにすぎない。

本来の長田はイラストレーターではない。
話を最初に戻しますが、決して人に話すことのできない自分の理想と、それが必ず実現するといった確信をある時期に発見しました。
ブログを始める前の話。

ただ、頭の中には「二十代の若造の知恵である」といった疑いがあることも間違いありません。
なのでそれを追えるかどうか断言するのはまだ早い。
おそらくはできない。
だから未だに考え続けている。



意識の差は男性と女性で大幅に分かれます。
男性は、人としての完成に向けて目標を諦めてはならない。
女性は、この世界に新しい命を育てるため妥協してはならない。
僕はそう思っています。

生物として違うから、意識っていうのは間違いなく違う。
あえてここで改めて言おうと思いますが、

インターネット上にある厳しい発言やトレーニング法は、100%に近い確率で男性が男性に向けて作っています。
職人は元々男性の領域であり、女性はそのようなことを意識するようなDNAを持ち合わせていない。
男性は、ぶっ叩かれても潰れないように作られてます。



できるできないじゃなく、トレーニング方法が男と違うんですよ。
それを考えなきゃね。



さてと、話をまた戻します。
話し相手がいない、ということは実はかなりいいことではないか、と長田は思います。
共感されてたまるかって話ですよ。
ブログの最初の方で、語った事もありますが、一つの考えを確立するのにどれだけの歳月をかけたのか。
そんな努力の塊を、まるでその日の献立を何にするのか考える程度の浅い時間で捻出したものだと思われてはこっちもたまったもんじゃない。
否定っていうのは話を聴いてから三日後くらいにするもんだ。
できる、とこっちが発言するのにはそれなりの根拠があり、その根拠は全て自分に合わせて出来てあるため人に説明するのにも時間を必要とし、理解してもらう為には話以前に自分という人間を感じ取ってもらわなければならない。

アライグマがご飯を河で洗う本能の研究に、どれだけの時間を費やすかわかりますか?
クマが物凄い嗅覚である事を発見するのに、いったい何年かけたのでしょう?

それだけ、考えというものは、人間ってのは壮大なメカニズムを持ってるんですよ。
それをうわべだけ聞いて数秒で否定する、そんな結末も手に取るようにわかるし、その人間の理解のキャパを超えた発言がいかに非現実的なものに見えるかも、体感でわかっていくのですね。

だから、話し相手がいない、ということは、「話してもわかる相手が見つかっていない」ということであり、「話しても理解されないということがわかる」ってことだと思うんですよ。
この先に進むには「話せる相手」を作るべきだとも思いますし。

最初にミニマリスト否定発言をしたのは、自分で考えたものじゃないからです。
体験することはとても良いことですけど、「それが素晴らしいことだ」と判断するための「確信」は、多分「自分以外の他人の姿」で証明されると思うんです。
それは計算じゃなくてただの答え合わせだ。
ミニマリストの創始者や、新しい流派を生み出した人でもない限り、答え合わせを他人にやってもらっているだけじゃないか。

勘違いして欲しくないところは、「ミニマリストを否定」しているってことじゃなくてですね。
ミニマリストに安心感を持っているのはマズい」ってことなんですよ。
いや、わかりやすいところを持ってきただけだよ。ミニマリスト限定の話じゃないからね。



喋ったら終わり。
何か特別な思想をもち、それが良いことだと安心している皆様。
喋るってことは答え合わせをしてるってことだよ。
喋るんじゃない、共感を得るんじゃない。
共感することで不安を取り除こうとするんじゃない。
不安こそが、理想とズレないようにするための信号です。
不安を自力で取り除いたら、ミニマリストという借り物の理想を捨てて、自分自身にのみ適応した方法を見つけることができんじゃない?

誰がどんなにわけわからんって言ったって、自分にのみ合った方法を実践する以上に学べる方法はないと断言します。
紙を壁に貼ってみたり、お茶を必ず一杯だけ朝に飲んだり。

みんなやってるからやる。
そのやってる人の大半は新しいブームが始まればそっちに行く。
そんな人間に混じるべきじゃない、と僕は思う。

もちろん、混じったフリをしている人達は正解だと思います。



最近真面目な話してないから、たまにはこういう強気なこと言ってみました。
真面目になると怒られるからね。
長田はこういう酷くキツい会話を、本当はもっとしたいんだよ、面と向かって…。


今回はここまで!